式内 佐受神社
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概 要
社号 式内社 但馬国美含郡 佐受神社
読み:古 サウケ 現 さづ
江戸時代は「米持大明神」
所在地 兵庫県美方郡香美町香住区米地字宮脇417-2
旧地名 但馬国美含郡佐須郷
御祭神 佐受主命(サウケヌシ) 佐受姫命(サウケヒメ)
佐自努命(佐須氏の祖神)・綺[月秦]姫命(カンハタチギリヒメ・亦名 岡幡姫命)『国司文書 但馬神社系譜伝』
豊城入彦命『神名帳考証』
佐自努命・綺勝姫命『但馬神社名目抄』
佐自努命・佐須姫命『但馬神社鑑』
例祭日 10月2日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
但馬国(タヂマ・たじま):131座(大18座・小113座)
美含郡(ミクミ):12座(並小)
近代社格制度 旧村社
創建 欽明天皇32年3月
本殿様式 一間社流造、銅板葺(明治改修)
境内摂社(祭神)
稲荷神社
一口メモ
国道178号線を佐津で北の日本海へ進むと九斗で右折し米地に入る手前に社の杜が見える。
歴史・由緒等
由 緒
当社の社伝として欽明天皇32年(571)3月、佐須知公の創立とする。
延長5年(927)12月、官社に列す。
近世の頃まで、米持大明神と称し、米地集落の神として、崇敬されている。-「兵庫県神社庁」-
『国司文書 但馬神社系譜伝』
人皇二十七代安閑天皇の元年四月、豊城入彦命の十世孫・佐自努命を以って美含郡司となす。人皇三十代欽明天皇の三十三年春三月、佐自努命の子・佐受地命を以って美含郡司となす。
佐受地命は、佐自努命・綺[月秦]姫命を平田原に祀る。(佐自努氏の子孫は、下村にあり家本所と称す)
米地と書いて「めじ」と読む。米地集落の地神さん。「さうけ」が「さづ」になり、この地区を佐津(さづ)地区となったようだ。明治に別の有名な御祭神を祀ったり合祀される例が多いが、そのまま土地の祖神が祀られているのも少ない。
佐津といえば中学生の時に部活の大会で香住二中に来て以来かも知れない。まるで昨日のことのようだが、もう40年も経っている。米地は県道の香住二中手前を佐津川を渡った場所。橋を渡るとそれらしき鎮守の杜がすぐ見えた。
境内・社叢
社頭 鳥居
獣除けの電線ケーブルが貼ってある。最近はどこでも見かける。思ったより奥へ長い参道
拝殿と本殿覆屋 本殿
右手の境内社『兵庫県神社誌』によると稲荷神社らしい。
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